美しい内房の人

「いいコトがあるから、いいコトをする」のが主知主義、「いいコトがあろうとなかろうと、損得を超えて、AIを超えて、仲間の為にと思わず身体が動いてしまうような人」は主意主義、英語ではボランタリズムvoluntarismと訳され、内房のコト編集チームではギバーGIVER(与える人)と呼んでいる。

また、「美しさ」には「絵的な美しさ」と「倫理的な美しさ」の二つがある。絵的な美しさを科学、定義するなら左右対称性で、規定も計算も可能であるから整形したりデジタル化すれば合理的に複製も再現も量産も可能である。

だが、倫理的な美しさは、その人、その共同体のエフィカシー(個体ならセルフ・エフィカシー、共同体ならコレクティブ・エフィカシー)、ビリーフ(信念や思い込み)、バリュー(価値観、好き・嫌い)、或いは文脈や空気、タイミング、タイムラインによっても「違う」ので計算はできない。ならば複製も再現もできない。当然、量産はできない。故に「希少」である。故に「価値」はある。

グローバル化や産業構造改革を迫られると、デカい企業も小さい企業も「価値」を産むのに必死だ。いつでも、どこでも、誰でも買える「商品」に「価値」はない。いつでも、どこでも、誰とでも付き合える仲間に「価値」は殆どない。

この便利で不便な時代に、わざわざあなたやあなたの共同体から買う理由や価値はあるだろうか。少ないカネや時間を割いてまで、わざわざあなたやあなたの共同体と付き合う価値はあるだろうか。

と考えていたら、内房のコト編集チームのYukiの記事が100本に到達していた。Yukiはインセンティブがあるから、いいコトがあるから記事を書いたのではない。いいコトがあろうとなかろうと、仲間や内房の人の為にと損得を超えて、リソースを割いて書いたのだ。その倫理的な美しさに身内ながら感動した。

AIや感情や感覚の劣化したAIのような合理的な人や共同体には、主意主義の思想も、ニーチェで云う超人的な創造も、GIVERがなぜするのかもわからない。

情動が動いたからこそ俺も記事を書いた。少ないカネや時間を割いてまで、わざわざあなたやあなたの共同体と付き合う価値はこの辺にありそうだ。

内房が美しい人(GIVER)で溢れかえりますように。